概要

新会長就任挨拶
「みんな、あつまろうぜ! みんな、語り合おうぜ!」

岐阜大学工業倶楽部会長

花﨑 雅彦

(工化 S.57)

 岐阜大学工業倶楽部の会員の皆様にはますますご健勝でご活躍のこととお慶び申し上げます。平素は、工業倶楽部の諸事業・活動にご協力ならびにご支援賜り厚く感謝申し上げます。

 令和7年度理事会において会長を拝命致しました。最初に自己紹介を兼ねて、少しだけお話しさせて頂きます。本文末尾に記載した略歴のように、1981年(昭和56年)、那加地区から黒野地区への工学部の移転を経験しました。工学部の中でも化学関係の研究室が、いの一番に移転することになり、広大な土地に1棟だけ建設された真っ白に光り輝く学び舎に夏休みを返上して引っ越しいたしました。私は、工業化学科で有機化学を専攻していたので、ビーカーや試験管などの貴重なガラス器具を一つひとつ新聞紙に包んで段ボール箱に入れて運びました。ほとんどガラス類なので割れはしないかと心配でしたが、割れることなく、新研究室の棚や机に収めることができたことなど良い想い出でとなっております。卒業後、学生の方とは岐阜大学ソフトテニス部のOB会を通じて交流を深めておりました。また、仕事上では、産学連携や協力会など様々な機会を通じて母校とは接点を持ちお世話になっております。

 さて、工業倶楽部の現状について、かなり厳しい状況であることをみなさんにお伝えしなければなりません。会報44号において坪内前会長や篠田前専務理事から報告されている入会率減少に加え、支部を含めた執行部の高年齢化や担い手不足が深刻となっています。また、コロナ禍が過ぎても本部や支部の行事への参加者が返ってくる兆しが一向に見られません。工業倶楽部としては、既にこうした状況を受け、令和5年度より、主に以下に示す3つの改善策を掲げ、事業改革の真っただ中であります。
1.デジタル化の推進(HP、会報の完全電子化、情報の一元化など)
2.交流イベント企画・支援の拡充(ホームカミングデイなど)
3.執行部の若返り&多様性拡大

 新執行部につきましては、事業改革の中心を担って頂いた篠田専務理事に副会長職に留まってもらい、新たに専務理事として原氏、新副会長には小林氏に就任頂き、事業改革の継続性と執行部に若手を起用することで若返りを図りました(会長・副会長の平均年齢68歳⇒62歳であり、まだまだ道半ばです)。

 事業改革について、各種プロスポーツの改革を事例に述べてみたいと思います。30数年前にサッカー(Jリーグ)で始まった様々な改革が今や多くの他のプロスポーツ(バレーボール、バスケットボール、ハンドボール、卓球など)に大きな影響を与え、エンタメ化と地域活性化に大きく貢献し成功を収めていることはご承知のことと思います。プロ野球球団についても、旧態依然の経営から大きく舵を切り新しい価値観を持つ経営者が主導する球団も多くなり、球団自体が「独立したエンターテインメントビジネス」として進化しております。ご存じのように工業倶楽部は、大変歴史のある組織です。しかし、それが故に中々変化することが難しいのではないかと感じております。確かに工業倶楽部は、任意団体であり、そこまでドラスティックなことはできないにしても、プロスポーツ化への取組みの考え方は大いに参考になるのではないかと思っています。

 私は、工業倶楽部の発展のためには、先ずは、在学生のみなさんに工業倶楽部のことを知って頂くことから始めていきたい、まだ会員になっていない方がいらっしゃったら是非入会して頂きたいと思っています(損はさせませんよ)。また、34,000名余の卒業生のみなさんとはコンタクトを取れるようにすることが必要です。多くの工学部卒業生の方が、官公庁や企業、他の様々な組織でグローバルに活躍されています。あるいは、退職・退任されご自宅でお過ごしになっている諸先輩方も多いと思います。その方たちの中には、残念ながら、卒業後コンタクトを取りたくても取れず、大学との接点をほとんどなくしている方が大勢いらっしゃいます。そうした一人ひとりの方に対するコンタクト方法を考え、連絡を取り、岐阜大学の現在の状況をお伝えしていく——このように新たに繋がることができる人数を増やしていくことが私の最初の任務ではないかと考えています。「なんだ、そんな簡単なことか?」と思われた会報読者のみなさま、本ホームページを通じてご一報(メール登録)ください。また、旧友がいたら登録を勧めて下さい。このホームページなどを通じて、工業倶楽部の様々な活動やその他興味の湧く情報を提供させていただきます。

 最後になりますが、岐阜大学工業倶楽部の会員の皆様には、改めて上記のような状況を受けとめて頂き、一層のご協力、ご支援を賜りたくお願い申し上げます。

~略歴~
1958年 名古屋市に生まれる
1982年 工学部工業化学科卒業 (1981年夏 那加⇒黒野キャンパス移転)
1982年 東海ゴム工業株式会社入社 トヨタ車防振ゴム設計開発
2009年 同 執行役員、常務執行役員 自動車用ホース事業部長を歴任
2016年 住友理工株式会社(商号変更) CQO(品質最高責任者)
2018年 同 取締役
2020年 同 退任、顧問 
現在 まちかど改善塾 代表 主に中小企業の経営指導&改善指導
   日本規格協会、日本科学技術連盟、中部品質管理協会などで講師
付録 大学時代は軟式テニス部に所属
   岐阜県学生軟式テニス連盟設立、初代理事長

沿革

工学部

昭和17年12月岐阜県立高等工業学校設置(羽島郡笠松町)
18年1月機械工学科、応用化学科の二科設置
初代校長高田覚公立実業学校長
4月第1回入学式および開校式を挙行
20年2月岐阜県立工業専門学校と改称
21年2月化学工業科および紡織科の二科増設
10月第2代校長 大森貫一
22年2月岐阜工業専門学校と改称(当時の校友歌を聴くことができます
5月土木科増設
24年2月第3代校長・学部長 北澤忠男
岐阜医工科大学の設置により工学部と改称
5月工学部第1回入学式挙行
25年3月第4代校長・学部長 高橋逸夫
4月岐阜県立大学工学部と改称
26年3月岐阜県立大学岐阜工業専門学校を廃止
27年4月国立に移管され岐阜大学工学部となった
初代工学部長・高橋逸夫
6月工学部長・馬詰哲郎
29年3月岐阜県立大学工学部は、国立移管完了のため廃止
6月工学部長・内海保次
9月工学部新校舎(稲葉郡那加門前町)に移転
33年4月第1年次の一般教育が学芸学部に移された
34年3月工学部長・飯沼弘司
4月工学専攻科を設置
36年4月電気工学科増設
38年3月工学部長・一野哲朗
4月精密工学科増設
40年4月電気工学専攻科増設
42年3月工学部長・四野宮哲郎
専攻科廃止
4月工学研究科(修士課程)設置
第1回大学院工学研究科入学式挙行
43年4月合成化学科設置
46年3月工学部長・福田治郎
47年4月電子工学科設置
50年3月工学部長・松井辰彌
52年3月工学部長・立木正泰
54年3月工学部長・脇田仁
56年3月工学部長・安藤善司
56年4月建設工学科増設
56年9月工学部新校舎(岐阜市柳戸1-1)に移転
58年3月工学部長・加藤晃
60年3月工学部長・河村三郎
62年4月工学部改組(これまでの9学科を改め、土木、機械、応化、電子情報の4学科に統合した)
63年4月地域共同研究センター設置
平成1年3月工学部長・河村長司
3年3月工学部長・佐々木堂
3年10月工学研究科修士課程9専攻を工学研究科博士前期課程4専攻
(土木工学専攻、機械工学専攻、応用化学専攻、電子情報工学専攻)に改組
工学研究科博士後期課程3専攻(生産開発システム工学専攻、物質工学専攻、電子情報システム工学専攻)ならびに夜間主コースを設置
5年4月応用化学科生物工学講座増設
電子情報工学科応用情報講座増設
7年3月工学部長・清水宏晏
9年4月工学部改組(これまでの4学科を改め土木工学科、機械システム工学科、応用精密化学科、電気電子工学科の4学科の他に生命工学科、応用情報学科が新設された)
11年3月工学部長・熊田雅弥
14年4月工学部改組(これまでの6学科を改め社会基盤学科、機械システム工学科、応用化学科、電気電子工学科、生命工学科、応用情報学科、機能材料工学科、人間情報システム工学科、数理デザイン工学科の9学科として再編成)
15年3月工学部長・安田孝志
16年4月工学部長・三輪實
16年4月国立大学法人移行
18年4月工学研究科博士前期課程を、社会基盤工学専攻、機械システム工学専攻、応用化学専攻、電気電子工学専攻、生命工学専攻、応用情報学専攻、機能材料工学専攻、人間情報システム工学専攻、数理デザイン工学専攻、環境エネルギーシステム専攻の10専攻に改組
19年14月夜間主コースの学生募集を停止
工学研究科博士前期課程に社会人プログラム(履修コース)を設置
20年14月工学部長・若井和憲
24年4月工学部長・六郷惠哲
25年4月工学部改組(これまでの9学科を改め社会基盤工学科、機械工学科、化学・生命工学科、電気電子・情報工学科の4学科とし、それぞれの学科にコースを設けた)
26年4月工学部附属インフラマネジメント技術研究センターを設置
27年4月グローバル環境・エネルギーコースを設置
28年4月工学部長・野々村修一
29年4月工学研究科博士前期課程を自然科学技術研究科へ移管
工学部附属知能科学研究センターと工学部附属応用気象研究センターを設置
30年4月工学部長・村井利昭
工学部共同研究講座を設置
31年4月工学研究科博士課程4専攻(生産開発システム工学専攻、物質工学専攻、電子情報システム工学専攻、環境エネルギーシステム専攻)を工学専攻の1専攻に改組
工学研究科博士課程に岐阜大学・インド工科大学グワハティ校国際連携統合機械工学専攻及び岐阜大学・マレーシア国民大学国際連携材料科学工学専攻を設置
令和2年4月国立大学法人東海国立大学機構岐阜大学発足
令和5年4月工学部長・植松美彦

工業短期大学部

昭和34年4月岐阜大学工業短期大学部が岐阜大学に併設され、機械科および工業化学科が設置。
岐阜大学長吉井義次学長に併任された
主事・内海保次
5月第1回入学式挙行
36年6月岐阜大学長四方博学長に併任された
38年4月岐阜大学工学部長一野哲郎が主事に併任された
40年4月土木科、繊維科の二学科が増設
41年4月電気科が増設
42年4月主事・佐伯義雄
6月岐阜大学長今西錦司学長に併任された
44年4月機械科を機械工学科に、電気科を電気工学科に、土木科を土木工学科に、繊維科を繊維工学科に名称変更した
45年4月主事・角田敏雄
46年4月主事・富永正俊
48年6月岐阜大学長林金雄学長に併任された
51年4月主事・久野馨
52年6月岐阜大学長館正知学長に併任された
54年4月主事・生源寺治雄
56年9月新校舎(岐阜市柳戸1-1)に移転
58年4月主事・伊藤融
62年4月主事・井上肇
平成1年5月主事改め部長に変更(部長・井上肇)
3年4月部長・水谷重喜
4年4月学生募集停止
5年4月部長・平松宏一
6年3月閉学